パンサーの尾形さんが高校時代、仙台育英高校の10番を背負うほどのサッカーの実力者だったそうですが、今現在芸人として活動されているということで。辞めてしまった理由が何なのか?という点が話題ですね!
そこで今回はパンサー尾形さんがサッカーを辞めた理由について調査した結果をまとめました!
パンサーの尾形がサッカーをやめた理由について
サッカーをやめようと思ったのは大学時代??
早速結論ですが、出身である中央大学時代に、「周囲の凄さを見て諦めました」とインタビューにて語っております!
尾形さんは中央大学もサッカーで声をかけられて進学するほどのプレイヤーだったのですが、インタビューにおいて、
僕も最初はプロは目指していましたけど、周囲の凄さを見て諦めましたね。
印象的だったのはセレッソ大阪のサテライトと試合をしたとき。当時、レギュラーだった西澤明訓(元日本代表)選手が怪我明けで、
調整としてサテライトの試合に出場したんです。僕はCBで彼をマークしていたのですが、西澤さんが目の前でジャンプしたとき、
僕がヘディングでも届かない高さのボールを胸でトラップしたんですよ。ジャンプが高すぎて、スパイクの裏が見えました(笑)。このとき「プロは無理だな」と思いました。
仙台育英の元10番・パンサー尾形のサッカー史、指導者への思い。「自分を作ったのはサッカー」
と語るほど、西澤明訓さんの実力に衝撃を受けたようです!
その後尾形さんはプロへの道をあきらめ、事務機器関連会社大手RICOHの販売会社へ就職したと噂されております。
また、余談ですが中央大学が1部リーグに昇格された際には後輩たちに対して応援メッセージも送っており、後輩思いの尾形さんの思いが伝わりますね!
パンサー尾形は高校時代どれくらいサッカーがすごかった?
パンサー尾形さんが仙台育英高校時代にどれだけすごかったのか情報をまとめました。
・高校1年生の時にドイツへ遠征に行ったところ、体がキレキレでドリブルもめちゃくちゃ成功していたことから「残ってください」と言われる
・在籍時は全国大会ベスト16まで進む
・10番の背番号を背負い、中央大学の推薦を受ける
など、結果でわかる実績だけでもすごいのですが、インタビューで語っていた客観的視点のエピソードもすごいと感じます。
当時の宮城県にはチームメイトだった中島浩司(ジェフユナイテッド千葉やサンフレッチェ広島に所属)や、
東北高校の平間智和(横浜F・マリノスやベガルタ仙台に所属)、東北学院の千葉直樹(ベガルタ仙台などに所属)のようにすごい選手がたくさんいて。
彼らを見て「ドリブルやテクニックで勝つのは無理だ」と思いました。そこで、「自分は上手い選手のサポートに回ろう」と。
ドリブラーとしてのプライドを捨て、ボランチになりました。プレースタイルもファイターになって。負けず嫌いな性格も相まって、チームメイトの浩司とよくやり合ってましたね。
仙台育英の元10番・パンサー尾形のサッカー史、指導者への思い。「自分を作ったのはサッカー」
自分の役割を判断し、過信したまま練習するのではなく、最適なポジションに切り替えたというのが今の尾形さんを象徴するようで、尾形さんらしい一面ですね!
パンサー尾形の今後のサッカーとの向き合い方は??
パンサー尾形さんは今後のサッカーとの向き合い方についてインタビューにおいて、
いつか地元に戻って指導者もしたいなと考えています。すごく田舎で、サッカーを教えてもらえる環境がなかったですから。そういった地域の子どもたちに教えてあげたいな、と。
仙台育英の元10番・パンサー尾形のサッカー史、指導者への思い。「自分を作ったのはサッカー」
と語っており、指導者としての道も考えていらっしゃるそうです。
こちらの動画でも実力が垣間見え、いまだにサッカーが大好きなことが分かります!
ぜひ尾形さんにはこれからもサッカーを続けてほしいですね!
パンサー尾形のサッカーに関して、SNSの声
まとめ:パンサーの尾形がサッカーをやめた理由について調査!【仙台育英の元10番】
尾形さんがサッカーを辞めた理由に関してまとめさせて頂きました!
・出身である中央大学時代に、「周囲の凄さを見て諦めました」と語っている
・そうはいっても尾形さんのサッカーの実力は過去の実績を見ても素晴らしい
・今後は指導者としての道も考えている
という結果でした!以上、最後までご覧いただき、ありがとうございました!
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